翻訳と辞書
Words near each other
・ 若新雄純
・ 若日下部命
・ 若日子建吉備津彦命
・ 若日子建吉備津日子命
・ 若旦那
・ 若旦那 (ミュージシャン)
・ 若晃三昌
・ 若月
・ 若月 (お笑い)
・ 若月 (お笑いコンビ)
若月 (駆逐艦)
・ 若月さな
・ 若月さら
・ 若月ひとみ
・ 若月まりあ
・ 若月まり子
・ 若月ヒトミ
・ 若月亮
・ 若月佑美
・ 若月俊一


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

若月 (駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
若月 (駆逐艦)[わかつき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

若月 (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
若月 (駆逐艦)[わかつき]

若月(わかつき)は、日本海軍駆逐艦秋月型の6番艦である。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」から〔片桐, 363ページ〕。
== 艦歴 ==
1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称109号艦。1942年(昭和17年)3月9日に三菱重工業長崎造船所で起工し、同年11月24日に進水。1943年(昭和18年)5月31日に竣工した。同日附で横須賀鎮守府籍〔#内令昭和18年5月(7)p.35『内令第千七十三號 驅逐艦 若月 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル(略)| 昭和十八年五月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』〕。当初は舞鶴海軍工廠で昭和17年6月に起工し、1944年(昭和19年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた〔遠藤, 209ページ〕。
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(木村進少将・海軍兵学校40期)に編入される。6月22日、駆逐艦玉波とともに瀬戸内海を出港して戦艦武蔵の護衛のため横須賀に向かい、6月23日に到着する〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.11,14,15〕。間もなく、米潜水艦ハーダー (''USS Harder, SS-257'') の雷撃で大破した元特設水上機母艦相良丸日本郵船、7,189トン)の救難作業に従事〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.16〕。5月27日に瀬戸内海に帰投した〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.20〕。7月6日から13日までは空母冲鷹の護衛を務めた〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.30,31,32,33〕。8月1日に瀬戸内海を出撃して再び横須賀へと向かい、8月2日に到着〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126200, pp.8,9〕。8月15日付で第61駆逐隊に配属され、同隊は秋月型3隻(涼月、初月、若月)となった〔#内令昭和18年8月(2)p.29『内令第千六百六十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年八月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「初月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ』〕。
トラック諸島に進出後、小沢治三郎中将(海兵37期)率いる機動部隊と行動をともにする。機動部隊は9月と10月にマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった〔『第八戦隊戦時日誌』C08030048800, pp.14,15,31,32,33 、木俣『日本空母戦史』504、508ページ〕。この頃、秋月型一番艦の秋月が戦線に復帰して第61駆逐隊に復帰、同隊はようやく秋月型4隻(涼月、初月、若月、秋月)となった〔#内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中朝雲、ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中風雲ノ下ニ、朝雲ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中涼風ノ下ニ、満潮ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中若月ノ下ニ、秋月ヲ加フ』〕。
トラックに帰投して間もなく「ろ号作戦」が発動され、ラバウルなどへの航空要員の緊急輸送を行うこととなった〔木俣『日本水雷戦史』374ページ〕。10月30日、第十戦隊(大杉守一少将)旗艦軽巡洋艦阿賀野」に率いられトラックを出撃し、11月1日朝にラバウルに到着した〔『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.8〕。ところが、この11月1日未明にアメリカ軍がブーゲンビル島タロキナ岬に上陸し、ブーゲンビル島の戦いが始まった。これを受け、第五戦隊(大森仙太郎少将・海兵41期)は第十戦隊および第三水雷戦隊(伊集院松治少将・海兵43期)を率いて11月1日14時30分にラバウルを出撃し、26ノットの速力でエンプレス・オーガスタ湾のアメリカ艦隊および輸送船団目指して進撃した〔『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.10〕。翌11月2日未明、エンプレス・オーガスタ湾手前にてアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊の軽巡洋艦と駆逐艦の部隊に遭遇し、ブーゲンビル島沖海戦が起こる。第39任務部隊は丁字戦法を以って第五戦隊以下の進撃を阻み、第五戦隊以下は突入を阻止されて11月2日朝にラバウルに帰投した〔『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.31〕。11月5日のラバウル空襲、11月6日のブーゲンビル島への逆上陸を通じて空襲を受け、至近弾により中破する〔遠藤, 210ページ、木俣『日本水雷戦史』389ページ〕。11月11日の第二次ラバウル空襲ののち、若月と風雲の2隻の駆逐艦は第二水雷戦隊各艦(能代、早波、藤波、五月雨)と共にトラックへ回航される重巡洋艦摩耶潜水母艦長鯨を護衛してラバウルを出港したが〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101400, pp.47,48,50〕、12日に十戦隊旗艦の阿賀野が米潜水艦スキャンプから雷撃されて航行不能となった。軽巡能代、第32駆逐隊(藤波早波)は若月等と分離して阿賀野の救援に向かった〔#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)430頁〕。14日、長鯨、摩耶、若月、風雲、五月雨はトラック泊地に到着した。つづいて内地回航中の11月19日、練習巡洋艦鹿島、潜母長鯨、第61駆若月、第4駆逐隊山雲は米潜水艦スカルピンを発見し、山雲はスカルピンを撃沈してスカルピンの約40名を捕虜とした〔#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)518頁『米潜水艦の跳梁』〕。11月26日に横須賀に帰投し、修理と機銃増備工事が行われるも12月21日に缶室で火災事故が発生して修理完了が昭和19年1月9日となった〔遠藤, 210ページ〕。修理後は瀬戸内海に回航された。
2月6日、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦初月とともに空母翔鶴瑞鶴、重巡洋艦筑摩を護衛して洲本沖を出撃し、2月13日に昭南(シンガポール)に到着後リンガ泊地に回航されて訓練に入る〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.4〕。3月15日、初月とともに日本向けの輸送物件を搭載して昭南を出港し、3月21日にに到着〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.5〕。リンガ泊地に向かう新鋭空母の大鳳の護衛のため3月28日に瀬戸内海を出撃し、4月4日に昭南に到着した〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.8 、C08030050400, pp.8〕。5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050500, pp.12〕。6月上旬はバリクパパンを起終点とする船団護衛に従事したが、6月13日の第一機動艦隊(小沢治三郎中将)のタウィタウィ出撃には同行できず、第一補給部隊を護衛した後6月17日に第一機動艦隊に合流した〔『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.12,13〕。6月19日のマリアナ沖海戦第一日目、大鳳の視界内にて直衛を務めるが、米潜水艦アルバコア (''USS Albacore, SS-218'') の雷撃によって大鳳が損傷し、大鳳は14時32分に大爆発を起こして沈没の危機に瀕した後呼び寄せられ、小沢中将以下第一機動艦隊司令部が移乗した〔『あ号作戦戦闘詳報』C08030039800, pp.30,31〕。司令部が16時6分に重巡洋艦羽黒に移るまで第一機動艦隊の臨時旗艦となった〔『あ号作戦戦闘詳報』C08030039800, pp.31〕。海戦第二日目の6月20日は瑞鶴の左後方に位置し〔『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.27〕、午後からのアメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾440発、機銃弾4,000発を撃った〔『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.15〕。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に瀬戸内海に帰投〔。6月28日、霜月とともに当時の連合艦隊旗艦である軽巡大淀を護衛して横須賀に向かう〔『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.13〕。横須賀に到着後、横須賀海軍工廠で機銃増備と13号電探の設置工事が行われた〔。
7月5日、霜月とともに横須賀を出港し〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.7〕、呉に到着後は遊撃部隊乙部隊に加わり、戦艦長門金剛、重巡洋艦最上を護衛して7月8日に呉を出撃する〔『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.4〕。乙部隊は沖縄本島に配備される陸軍部隊を中城湾で降ろし、次いでマニラで軍需品を陸揚げしたあと、7月20日にリンガ泊地に到着〔。9月12日、リンガ泊地を出港して9月19日に呉に到着後は〔『第十戦隊戦時日誌』C08030051000, pp.4〕、瀬戸内海において機動部隊とともに待機する。10月に入り、高雄への輸送任務を命じられたが〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.24〕、この命令は間もなく取り消された〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.25〕。10月17日、第61駆逐隊(涼月、若月)は米潜水艦ベスゴ (''USS Besugo, SS-321'')に襲撃され、魚雷2本が命中した涼月は中破(艦首切断)。涼月は入渠を余儀なくされ、レイテ沖海戦に参加できなくなった。
10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾のに上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は小沢中将率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった。10月20日夕刻、機動部隊は豊後水道を出撃。10月24日、戦艦伊勢日向、駆逐艦秋月、初月、霜月とともに前衛を構成し、夜襲を試みるも成果なく、夜半過ぎに本隊に合流した〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.36,39 、遠藤, 211ページ〕。10月25日朝、機動部隊は沖でついに第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦)。空襲により姉妹艦秋月と瑞鶴以下全ての空母は沈没し、若月は初月、とともに瑞鶴、瑞鳳の乗員救助にあたった〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46〕。その救助作業中、第38任務部隊から分離した第34任務部隊(ウィリス・A・リー中将)中の巡洋艦部隊(ローレンス・T・デュボース少将)と交戦し、避退する〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.4〕。同じく救助作業を続けていた初月は米艦隊と交戦して撃沈された。避退後、再度の夜襲を企図した伊勢、日向、大淀および霜月と合流した〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.3,4〕。海戦を通じて機銃弾を多数受けたものの、それ以上の被害はなかった〔『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.19〕。秋月、初月の沈没により、第61駆逐隊は涼月と若月の2隻編制となった。10月27日に奄美大島に到着後、大淀とともにマニラ方面への進出を命じられ、霜月から弾薬を供給された〔遠藤, 211、213ページ〕。マニラに進出後、多号作戦支援部隊に編入された。
11月8日朝、多号作戦第四次輸送部隊を護衛してマニラを出撃。翌11月9日夕方にオルモック湾に到着するも、大発が揃わなかったため兵員しか陸揚げできなかった〔木俣『日本水雷戦史』552ページ〕。11月10日、輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなくB-25P-38 の攻撃を受けて陸軍特殊船高津丸(山下汽船、5,657トン)と輸送船香椎丸(大阪商船、8,407トン)が沈没。輸送部隊を指揮する第一水雷戦隊司令官木村昌福少将(海兵41期)は、戦隊旗艦朝霜および長波に救助作業を担当させ、秋霜以下の艦艇は輸送船金華丸(大阪商船、9,305トン)の護衛につけてマニラへ先発させた〔木俣『日本水雷戦史』554ページ〕。この後、木村少将から朝霜、長波とともに第三次輸送部隊と合流するよう命令を受ける。21時にマスバテ島東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊に合流した〔『多号作戦戦闘詳報第二号』pp.16〕。第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機〔木俣『日本水雷戦史』559ページ〕による空襲を受け、前部と後部に爆弾が命中しての地点に沈没〔遠藤, 211ページ〕。駆逐艦長鈴木保厚以下290名〔『艦長たちの軍艦史』p357〕が戦死した。
11月15日、第61駆逐隊の解隊にともないすでに沈没していた若月は、書類上第41駆逐隊に編入された〔#秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中清霜ノ下ニ朝霜ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中潮ノ下ニ、霞ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中初春、初霜、若葉ヲ初春、初霜、時雨ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中長波、朝霜、岸波、沖波ヲ長波、岸波、沖波、濱波ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中冬月ノ下ニ、涼月、若月ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ||第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫||第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』〕。翌年1945年(昭和20年)1月10日、若月は
帝国駆逐艦籍〔#秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍:軍艦厳島/呉鎮守府在籍:軍艦八十島/舞鶴鎮守府在籍:軍艦神鷹/右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍:驅逐艦曙、驅逐艦満潮、驅逐艦朝雲、驅逐艦山雲、驅逐艦野分、驅逐艦早霜、驅逐艦秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦霜月/呉鎮守府在籍:驅逐艦浦風、驅逐艦島風/佐世保鎮守府在籍:驅逐艦秋風、驅逐艦卯月、驅逐艦夕月、驅逐艦初春/舞鶴鎮守府在籍:驅逐艦長波、驅逐艦濱波、驅逐艦沖波、驅逐艦岸波/右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』〕、
秋月型駆逐艦〔#秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中八十島ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中神鷹、、同敷設艦ノ部中、厳島ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中、秋風ヲ、同卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中曙、ヲ、同初春型ノ項中初春、ヲ、同満潮型ノ項中満潮、朝雲、山雲、ヲ、同不知火型ノ項中、浦風、野分ヲ、同夕雲型ノ項中長波、濱波、沖波、岸波、早霜、秋霜ヲ、同秋月型ノ項中、若月、霜月ヲ、同 島風ヲ削ル(以下略)』〕、
第41駆逐隊のそれぞれから除籍された〔#秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中早霜、秋霜ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中曙、ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中浦風、ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中初春、ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一驅逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中霜月、及、若月ヲ削ル』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「若月 (駆逐艦)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.